地方ロケの空き時間。
何かを買うつもりなどなかったのだが、手持ち無沙汰で何気なく足を踏み入れた土産物屋の店内の一角に設けられたとんぼ玉のコーナーにうっかり目を奪われてしまった。
陽の光を浴びてきらきらと光る色とりどりのガラス玉。
その中に、愛しいひとを思わせるような綺麗な青を見つけて思わず足を止めた。
深海の名を冠したそのガラス玉は、その名の通り、吸い込まれそうな深い青をしていた。
直径1センチほどの美しい球体の中には銀色の帯のようなものが見え、角度を変えるたびにきらきらと光る。さながら海の底から陽の当たる海面を見上げているような、そんな美しさだった。
普段から青系を好んで身につけている彼に似合うに違いない、と知らず頬が緩む。
何より、彼とは感性が似ている。きっと自分と同じようにこのガラス玉を綺麗だと言ってくれるに違いない。
彼は、アクセサリーをつけるようなひとではないから無難にストラップはどうだろうか、と小振りな青い玉とそれよりもひとまわり小さい透明のガラス玉が交互に連なったシンプルなものを手に取る。
(お揃いというのも良いかもしれませんね)
胸裏でひとり呟いて同じものをもうひとつ手に取った。
木製のトレイにそれらを入れ、まだ時間があるからと他のものを見てみることにする。
ストラップの他にはブレスレットやペンダントなどのアクセサリー類が処狭しと並べられている。
ふと目にとまったのは、細いシルバーのチェーンに、控えめに揺れる青いガラス玉。
きっと、深い青は彼の白い肌に良く映えるだろう。
直接身につけられるものも良いかもしれない。文字通り肌身離さずつけてくれたならば冥利に尽きるというものだ。
しかしそれは、どう見ても女性用のものだ。
中性的な外見をしている彼だが、性格は非常に男らしいのだ。これは嫌だと言われるだろうか。シルバーのチェーンではなくて、黒の丸紐なら少しは男性的だろうか。
それとも、こちらのブレスレットの方がつけやすいだろうか。
ブレスレットを手にしながらペンダントと交互に見比べる。
こちらの方がつけてくれる可能性が高い。しかし、彼の首元で揺れる様も捨てがたい。
それならば、
(折角ですから、両方買ってしまいましょう)
ひとりで納得してトレイに入れると、トキヤは足取りも軽くレジへと向かった。
愛しいひとの笑顔を想い浮かべながら。


「ただいま帰りました」
合鍵を使って通い慣れた彼の部屋へと足を踏み入れる。同じ寮の同じフロア、間取りも内装もどの部屋も同じだが、置かれている家具やその位置の違いが個人の性格をよく表していると思う。
「ああ、おかえり一ノ瀬」
キッチンから顔を出した割烹着姿の真斗がにこりと笑う。
「ちょうど今、夕飯が出来たところだ」
彼の言葉通り、部屋にはあたたかな空気と、食欲をそそる香ばしい匂いが充満している。そう言えば、今日の昼過ぎから水分以外何も口にしていなかったことを思い出して、急激に空腹感を覚える。
「いい匂いですね」
「ああ、お前が帰ってくるから腕によりをかけて作ったのだ」
「それは嬉しいですね」
ふたりで笑い合って、共に食卓を囲む。このような関係になって、そろそろ一年ほど経つだろうか。
互いは未だアイドルとしては新人の身ではあるが、故に、いくつものオーディションを積極的に受けて、明日へと繋げる努力は惜しまない。それに、どんなに忙しくてももらった仕事は小さなものでもすべて受けるようにしている。だから、こうしてゆっくりとふたりで過ごすのは随分と久しぶりだった。

「お土産があるんです」
夕食を食べ終わり、リビングのソファでゆったりとし始めた頃合いを見計らって、トキヤが声をかけた。
言葉と共に彼の前に置いたそれには、きれいなリボンが掛けられている。プレゼント用にと言ってラッピングしてもらったのだ。
開けても? と律儀に問う真斗にどうぞ、と笑顔で促せば、彼は丁寧な手つきで包みを解き始める。過剰に梱包された包装の最後の箱を開ければ、彼は子供のように顔を輝かせた。
「…これは、見事だな」
感嘆の溜め息を漏らす真斗にトキヤは得意げな顔を向ける。
「ええ、綺麗でしょう? このとんぼ玉、深海ブルーというそうですよ」
「なるほど、確かに深海だ。まるで海の底から光が射す海面を覗いているようだな」
「ええ、私も同じことを思いました」
ふたりで顔を寄せ合って笑う。そして、真斗がトキヤの顔をじっと覗き込みながら甘い溜め息を吐くように言葉を続けた。
「お前の瞳と同じ色だな」
あぁ、きれいだ、と真っ直ぐ目を見つめながらすぐ近くで言われてトキヤは思わず顔を逸らしてしまった。
色ごとに関して奥手なところがある真斗だが、口にする言葉はいつだって真っ直ぐだ。
時折囁かれる真摯な言葉はそれが偽りのない彼の本心なのだと分かってしまって、未だ慣れない。
特に、このように不意打ちで言われたりすると、咄嗟にどんな反応を返せば良いのか分からなくなってしまう。らしくない、と自分でもそう思う。彼のことに関しては冷静な判断が出来なくなる。
「…それよりも、良かったらつけてみてはくれませんか?」
やっとの思いで口にした言葉は、少々素っ気なかったらだろうかとも思ったが、真斗はあまり気にしていないらしい。そうだな、と呟いてすぐ側にあった顔が離れてゆくのを少々寂しい想いで眺めながら、少しだけ安堵する。その間に僅かに火照ってしまった顔が元に戻れば良い。
「これは、腕につけるものか?」
そう言いながら、真斗は青いガラス玉が連なったブレスレットを手に取った。ガラス玉をつないでいるのはゴムなのだろう、軽く引っ張れば簡単につけられるようになっている。
それから、箱に残ったもうひとつのプレゼントを眺めて、真斗がふむ、と考え込んだ。
「…これは、俺よりもお前の方が似合いそうだな」
黒い丸紐のペンダントを手に取って、真斗がトキヤの顔とペンダントを交互に眺める。
「そう言わず一度だけで良いからつけてみてはくれませんか?」
白い肌に踊る深海色のガラス玉。それが見たかったのだ。
あまりこういったものはつけたことが無いからきっと似合わんぞ、と渋る真斗の手からペンダントを取り上げて、トキヤが留め具を外す。
「つけてあげますよ」
そう言って、彼の首に腕を回したところで、こちらの様子を眺めていた真斗が不意に悪戯を思いついた子供のような顔で笑った。
「俺のものならばどこにつけようと文句はないな?」
そう言うやいなや、こちらの返事も聞かずに真斗はトキヤの手からペンダントを奪って、そのまま逆に目の前の首に腕を回す。
「…な、聖川さん」
「ああ、よく似合っているな」
目を細めて真斗が笑う。するりと、首の後ろから紐をなぞるようにして滑らせた指先が鎖骨の辺りにある青い玉に触れ、掬い上げる。そうして、顔を寄せてそのつるりとしたガラス玉に唇を落とした。
「…聖川さん」
幾分機嫌が悪い声に真斗がトキヤを見遣れば、口をへの字に曲げた表情が目に映る。
「私はまだ、今日帰ってきてからあなたからキスをしてもらってませんよ」
私よりも先にキスをするなんて、妬けてしまいますね、とトキヤが拗ねるような物言いをするものだから、真斗は思わず小さく吹き出してしまった。
「お前は、存外に狭量なのだな」
「そうですよ、知らなかったんですか?」
ですから、とトキヤが発した言葉は、けれど最後まで紡がれることなく、真斗の唇に消えてしまった。




「…ん、は…ぁ」
薄暗い寝室に艶かしい声が響いている。
ベッドの脇のカーテンは僅かに開いていて、隙間から少しだけ欠けた月が顔を覗かせていた。
辺りを冷たく照らすその光は、この熱を孕んだ空間を冷ましてはくれないらしい。途切れることなく沸き上がる熱情に頭が沸騰しそうだ。
組み敷いた男の白い肌は既に上気して薄紅に染まり、僅かに開いた唇から忙しなく吐息が漏れる。時折覗く赤い舌が艶かしく唇を舐める仕草は、映画かなにかのワンシーンのようだと、思う。
口元、顎先、首筋へとその輪郭を確かめるように指を這わせてゆく。浮き出た喉仏まで辿り着いたところで、白い首筋を横切る黒い紐に気がつき、不意に手を止める。深海色のガラス玉は、その重みで首の横に滑り落ちていたようだ。真斗はガラス玉を救い上げて、トキヤの首元へとそっと置いた。上下する胸の動きに合わせてそれは揺れ、月の光を受けていっそう青く光を放っていた。
「…聖川さん」
名を呼ぶ声は艶を含んでいながら、そのくせ咎めるような声音で思わず笑みが零れてしまう。
薄く開いた双眸は水を称え、濡れそぼる長いまつげが小さく震えている。
吸い込まれそうな深海だ。あのガラス玉よりもずっと。
「あぁ、きれいだ」
「…ガラス玉が、ですか?」
先ほどのことを未だに根に持っているのか、唇をへの字に引き結び、綺麗な眉根を寄せてこちらを睨む姿はこのような状況では、逆効果にしかなり得ない。それとも、分かっていてやっているのだろうか。
「随分と、これを気に入っているようですね? 私は、狭量なのだと言ったでしょう?」
自ら首元の紐を救い上げて、トキヤは先ほど真斗がしたようにガラス玉に唇を寄せる。
濡れた唇に落ちる青いガラス玉。
薄く開いていた端正な唇が更に開いて深海が飲み込まれそうになるのを追いかけて唇を寄せれば、くぐもった笑い声が直接響いた。そのまま、唇の端、頬にキスを落とし、耳、首筋へと唇を滑らせてゆく。肩口でガラス玉を弄んでいた指先を引き寄せてその一本一本に丁寧に口づける。指先から零れ落ちた深海には目もくれずに、節が張った指の感触を唇で楽しみながら、手の甲、掌へと愛撫を続ければ、その大きな手がひらりと動いて包むように頬に触れた。
「聖川さん、」
再び名を呼ばれ彼の顔へと目を向けると、少しだけむくれた顔がそこにあった。
そういえば、先ほども何かを言いたそうにしていたな、と思い出す。
「その、早く、動いてくれませんか…?」
もう、待てません、と懇願というにはあまりに可愛げのない言い方に思わず笑う。
彼らしいと言えば彼らしい。
「……! 何が可笑しいんですか?」
こちらを軽く睨みつけながら、早く動けとばかりに腰に絡められていた足で軽く腰を叩く仕草すら愛おしい。
久方ぶりの行為だから、と少々丁寧に扱いすぎただろうか。
少しでも長く彼の中に居たくて、時間を掛けていた自覚はあるのだが、こんな風に強請ってくれるのならば、時折こうして焦らすのも良いかもしれない。
「良いのか? 泣いてもやめんぞ」
「望むところです」
この状況においても乱れないしっかりとした口調は、彼の日々の努力の賜物なのだろう。それが崩れる瞬間がたまらなく好きなのだと言ったら、一体どんな顔をするのだろうか。
己の下で不敵に笑う妖艶な唇に口づけて、腰を抱え直し、ゆるゆると腰を動かし始める。
それだけで、先ほどまでの不敵な表情は一変し、蕩けるような顔をして綺麗な歌声を紡ぐ唇が、今は甘く声を漏らしていることに満足する。
ああ、でもまだ足りない。
劣情に駆り立てられるままに、薄い腰を掴んで強く腰を打ち付けると、トキヤが口を戦慄かせながら息も絶え絶えに鼻にかかった嬌声をあげる。
身体を仰け反らせて喘ぐ姿は、さながら溺れているようにも見えた。縋るようにこちらへと手が伸ばされれば尚のこと。空をかいていた手を掴んで背に回し、その深海の色をした双眸に唇を寄せれば、ふわりと笑う濡れた瞳。
あとはただ、深く深く沈むだけ。
その深海に。

さて、溺れているのは果たしてどちらか。