(アイプラスを手に入れたトキヤの話)


「では、始めましょうか」

 さらりとしたその肌を優しく撫でながらトキヤがうっとりとした声音で言った。そうして、傷ひとつない滑らかな肌の上に慈しむようにくちづけをひとつ落とし、指先でその慎ましやかな入口を軽く撫でる。しっかりと位置を確認してから、トキヤは小さな窪みにそっと先端を押し宛ててそのまま慎重に奥へとその先端を挿入していった。

 普段真斗の前では饒舌なトキヤが口を引き結んだまま真剣な眼差しをして、それがじわじわ奥へと飲み込まれてゆく様を眺めている。それだけでトキヤが緊張しているのが真斗にも伝わってくるようだった。

「初めてですから、少し硬いですね。ああ、大丈夫ですよ。手荒なことはしません」

 じれったいほどゆっくりとした動きで奥へと進んでいた動きが不意に止み、再奥に当たる感触に、ほう、っとトキヤが満足げな溜め息を吐いた。

「ああ、奥まで入りましたね。……ん、少し、きついですか? 大丈夫です、すぐに慣れますから」

「……一ノ瀬、」

「駄目ですよ、これで終わりではありません。まだまだありますからね、もう少しいい子で我慢してくださいね」

「おい、一ノ瀬、」

 真斗の不機嫌な声に、ようやくトキヤは手を止めて顔を上げる。

「……その、なんというか、それは、どうにかならないのか?」

「それ、というのは?」

「そのおかしな言葉だ」

「どの辺がおかしいですか?」

 不思議そうな表情を浮かべながらトキヤが真斗の顔を見返した。本当に分からないらしい。

「おかしいだろう、どうしてお前はボールペンの芯を入れるだけで、その、……ひ、卑猥な言葉を掛けるのだ」

 トキヤの手のひらの中には本日発売されたばかりの文房具が大事そうに握られている。それは今シャイニング事務所で人気のあるアイドルと有名文房具メーカーがコラボした新商品で、アイドルたちの衣装や外見をデザインしたボールペンの本体に、好きなインクをセットして自分好みにカスタマイズ出来るという商品だ。元々のアイドルの人気やデザインの可愛さも相まって発売前から話題となっていた品物だった。

 しかし、店舗ごとに発売日が違っていたことや、店舗によって予約が出来る出来ないだの、再販はしないだの、真偽も定かではない様々な情報がインターネット上で飛び交い、その曖昧な情報ゆえ不安にかられた人たちが発売日を公表していた店舗へと殺到し、平日だというのに半日で完売してしまうところもあったのだと、今日事務所で聞いた。そんな状態だから未だ手に入れられていない人も多く、インターネットオークションなどでは定価の二倍三倍で取引されているものもあるというのだから驚きだ。

 その入手困難な品物をあろうことかトキヤは四本も持って帰ってきたのだ。もちろんモデルになった本人たちには完成品が何本かもらえることになっている。しかし、トキヤはわざわざ仕事の合間を縫って文房具店や書店を巡り歩いて真斗デザインのものをいくつも購入してきたらしい。やけに上機嫌で帰ってきたと思ったら、真斗への挨拶もそこそこに、大事そうに手にしていた袋を開け、冒頭のあのおかしなやり取りが始まったのだった。

「だいたい、同じものをそんなに買ってどうする」

「ああ、これはですね、家で使う用と、持ち歩く用に一本ずつ、それから保存用と観賞用です。本当はもう二、三本欲しかったんですが、私が買い占めてしまうわけにはいきませんからね。これでも我慢した方なんですよ」

 どこか誇らしげにトキヤが言う。

「本当に可愛らしいですよね。デザインもさることながら、このつるりとした質感に、手に馴染む太さ、まるで真斗さんの肌を撫でているようです」

「一ノ瀬、」

 真斗の辟易の声も気にも留めずにトキヤがうっとりと語り始める。

「ですから、傷がつかないように丁重に作業しているんです。卑猥だなんて心外ですね。……もしかして、妬いてしまいました?」

「だ、誰がそんなペンに嫉妬などするものか。……ただ、」

「ただ?」

「今日は帰ってきてからずっとそればっかりで、その、いつもの挨拶もなかったではないか。……そのペンにはしていたのに」

 蚊の鳴くような声でそれだけ言って、真斗は赤い顔をして俯いてしまった。

 ペンに挨拶、と首を傾げたトキヤだったが、自身の行動を振り返ってみてふととあることに気がついて「あ、」と小さく声をあげた。それを見て真斗が眉根を寄せる。

 明確にそうしましょうと取り決めたことではないけれど、毎日の帰宅時に留まらず、何かにつけてことあるごとにトキヤが真斗にキスをするのが習慣のようになっていたのは事実で、つまりそれが真斗の言う挨拶なのだろう。

「それは、うっかりしていました」

 すみません、と謝罪を口にすれば真斗がちらりと視線を上げた。

「別に、催促しているわけではないからな」

 とは言うものの、真斗は完全に拗ねている。ここで何もせずに再び文房具の方へ戻ったならば、間違いなく真斗はへそを曲げてしまうだろう。

「それでは、始めましょうか」

「……ここでか?」

 先ほどトキヤが文房具にかけた言葉とまったく同じ言葉を言われて真斗は憮然とした表情を浮かべたが、トキヤの手から無機質な文房具が離れたことを横目で見て、ようやく真斗のご機嫌も上向きになりそうだ。声に少しだけ甘さが滲んでいる。

「どこでだって良いじゃないですか、結局は同じことをするのですから。それとも、お望みの場所がありますか?」

 ほんのりと朱に染まった顔を覗き込みながらトキヤが低い声で訪ねる。

「……ここで良い」

 先ほどよりも更に甘くなった声に思わずトキヤの顔にも笑みが浮かぶ。

「では、まずはしそこねた挨拶から」

 ゆっくりと近づいてくる顔に真斗は反射的に目を閉じた。


 結局ふたりはその後どうなったのかは、机の上で無造作に置かれたままのアイプラスだけが知っている。




(プライベッターより再掲載)